2008年08月23日

第4章


 坂野も俺も、それから毎日道場に通うようになった。一緒に稽古することは一度もなかったが、その後の片付けを2人でやるのがいつもだった。
「名城君はさ、大会でいい成績を取った事あるの?」
 いつものとうり坂野とモップがけをしている時に、突然聞かれた。なんとなく言うのが照れくさくて、つい癖で鼻の頭をかいてしまう。
「まあ、個人で関東ベスト8たったのが一番よかったかな。坂野は?」
 そう言って横の坂野を見ると、目を丸くした坂野が俺を真っ直ぐに見ていた。どき。どうしたんだろう急に。
「な、何?」
「…癖……鼻の頭…」
 坂野は半ば呆然としていて、口も半端に開いたまま俺を見つめて呟いた。
「ああ。俺、こう言うときに鼻の頭をかく癖があるんだよね…って、これがどうかしたのか?」
「……嘘……嘘でしょ…?」
「坂野?おい、大丈夫かよ?なんかしたか俺?」
 おいおいおい。目が完璧に混乱してるよ。どうすればいいんだ俺。
「なあ、さか――」
「ごめん、私先に帰るね!あと片付けの残りよろしく!」
「えっ、ちょっ……」
 俺の言葉も聞かずに、坂野はTシャツ短パンで道場を飛び出した。逆に呆然とする俺。
 一体全体どうなってんだ?



続く.
ニックネーム 由姫 at 15:55| Comment(0) | わずかな時の【期間小説】

2008年08月20日

第3章


「どうかしたのか?」
「え、あ。いや、ないでもないの、なんでもないの…」
 2回目のなんでもないの、は自分に向けていっているかと思うほど、坂野は俯いていた。首が180度に落ちそうなくらい。ちょっと心配になった。
「おい、調子でも悪くなったりした?」
 俺の言葉にハッとしたのか、坂野は慌てて俺を見た。少し目が潤んでいたのは、俯いていたせいだろうか。なぜか、胸がチクリと痛くなった。
「ごめん。なんか自分の世界に入ってた。名城君、私のこと変だと思ったでしょ」
「いや、それほど?てっきり気分悪くなったのかと思ったから」
「そっかーよかった」
 坂野がわざとらしく胸を撫で下ろしたので、ちょっと笑えた。坂野の小指に指輪が光っているのがちらりと見えたのが気になったけど、聞く気にはなれなかった。初対面の子にそんな細かいこと聞いてたら俺、絶対気持ち悪く見えると思う。

「あ、モップがけの途中だったな」
 ふと、俺達は道場の真ん中で二人きりになっている事に気がついた。「二人きり」と頭に浮かんだ瞬間から、わずかな緊張が体に走る。今までは全然大丈夫だったのに、情けないぞ俺。
「そうだった。私後片付けやっておくから、名城君着替えてきていーよ」
「いや、俺も手伝うよ」
「ありがと」
 俺は坂野の笑顔を見てから、モップのあるロッカーへ小走りで向かった。



続く.
ニックネーム 由姫 at 23:05| Comment(0) | わずかな時の【期間小説】

2008年08月19日

第2章

 ちびっこ達が帰って、彼女がモップがけを始めたので、俺は声をかけてみることにした。
「あの、さ」
「はい」
 彼女は振り返って俺を見た。で、まずゼッケンを見て「名城」と言う名前を確認する。それから顔を見る。これを何回か繰り返した後、目を丸くした。
「へえぇ……」
「え?」
「あなたのこと、大人の先生だと思ってた」
 なるほど。俺はいつも子供達とは練習せず、大人たちに混ざって練習してるからな。背も高めだし、面をつけてて顔見えないし。
「同じくらいの年の子が同じ道場にいたのを今まで知らなかったなんて。いつも来てた?」
「いや、たまにしか」
「そっかー!だからわかんなかったんだ」
 彼女は喋るたびに目がキラキラとしてきた。そんなに俺に会ったのが嬉しかったのか?まあ、この道場にはちびっこかおじさんおばさんばかりだから、高校生は珍しいんだけど。そこまで考えて、ふと思った。
「ところで、君の名前は?」
 彼女はゼッケンを今つけていなかったから、名前がわからなかったのだ。
「ああ、私?私は坂野。坂野唯だよ。名城君の下の名前は?」
「和哉だけど」
「ふーん。和哉……和哉…ね……」
 坂野は俺の名前を何回かぶつぶつと呟いていた。俺が見えないかのように俯いて。その表情からして、なにか彼女にとってひっかかる部分があったらしいのは確かだった。






続く.
ニックネーム 由姫 at 17:47| Comment(1) | わずかな時の【期間小説】